著者について~わたしは誰?

あなたが信じる信じないに関わらず、この話はノンフィクション(実話)である…


■本来なら、私はこの世に存在していなかった。


私は母が二十歳の頃、25歳年上の男性と不倫をして創りだされた。

母はその頃妊娠しやすい体質で、何度も病院でおろしていたらしい。
本来、私もその中の1人になるところだった。
ところがその時はなぜか、躊躇していたらしく、気がつけば五ヶ月が経っていた。

それでもおろす必要があったため病院に行ったところ,1件目が休み、2件目も休み。
3件目でやっと空いていた病院の手術台の上で、先生の手がとまった。
「私には出来ない。」
気の強い母はこう言った
「そんなの困ります。早くおろしてください!」
それでも先生は頑なに拒否し「他へ言ってくれ」と繰り返すばかり。
ということで、4件目へ行ったところ、そこでも同じように断れたため、流石に覚悟を決めたようだ。

このような経緯を経て、私は生まれてきた。

不倫という事情から、母は実家へ戻ったが、その時には既に新しい男がいた。
その男も私が7つの頃、「帰ってくる」と一言、言い残したまま、家を出て行った。

結局その人が戻ってくることはなかったのだが、私は9つになるまで、その人を実の父と思いこんでいた。

その後中学になるまで、母は次々と男を連れてきては「お父さんと呼びなさい」と言っていた。
時にはラブホテルで「お風呂で遊んでおきなさい」出入りの時は「隠れていなさい」ということもしばしば。

学校での生活の中では、そんな素振りはみせず、気合を入れて年中半ズボンをはきながら、6年間は全ての学年で学級委員をやっていた。
外では探検して活発に遊びながら、中では想像力を駆使して物語を創り、一人芝居をして遊んでいた。
このような環境の中でも明るく前向きに生活できたのは、他ならぬお祖母ちゃんがいてくれたお陰である。
そんなお祖母ちゃんとも、中学を入った頃お別れの時がくる。

母が再婚して、長崎の五島列島へ行くことになったからだ。
このことで、私の苗字が変わるのは3回目となる。

そこからが本当の地獄の始まりだった。


その男と母は、私が寝ている中二階の寝室で、見せつけるように大きな喘ぎ声を出してセックスをしていたのだ。

しかもその男は、酒を飲み暴れる男だった。
家のものは、全て壊す勢い。
母とは包丁をもって殺し合いのような叫び声が聞こえていた。
トドメは、教科書から唯一の心の支えであった大好きなカセットテープでさえ、海に全て投げ込まれた。

正直、当時の私は、この男を本気で殺したいと思うこともあった。しかし力が足りなかった。
丁度その時からだ。力を求めて武道を学び始めたのは。
理由は、母を守りたかったからだ。

何かしらのドラマでは、このような状況の際には、実母は影ながら子供を守っていたように思える。
しかし現実はもっと冷酷だ。
母は、その男と一緒になって、私を攻撃してばかりいた。

それから暫くして、母に選択を迫った。
「自分か?その男か?」
母はその男だと、ハッキリと答えた。
母の言ったその理由は次の通り
「あなたには私がいなくてもいいが、あの人には私がいなくてはダメ」

今思えば、私は母にとっては、単なる邪魔者でしかなかった。


私は意を決して、地元の熊本へ帰ることにした。

2回の転校をした私は、授業についていけなくなり、高校は昔でいうヤンキー高校に通うことになる。
まともに通っていなかったが、試験は一夜漬けでもトップをとれるような内容だった。
それでも、高校に行く意味を見出せなかった私は、毎日が辞めたくて仕方がない日々だった。

その時出会った宗教色の強い自己啓発は、肌身離さず持ち歩いて、暇さえあれば読み返していた。
※これは後々の私の態度、思考、そして信念に大きな影響を与えた。生涯の師となる。

高校だけは出ていないといけないと説得され、結局はギリギリの授業日数で卒業できたのは、やはりお祖母ちゃんのお陰だった。

お祖母ちゃんは、若い頃仕事中の事故で片目が見えなくなり、もう片方も白内障の症状が出てかなり見えにくくなっていた。
しかも、胎児性の水俣病である末っ娘の面倒をみながら暮らしていた。

そんな中、手作りの弁当を、毎日(学校へ行った日も行かなかった日も)作ってくれていたのだ。
私は3年間で一粒のお米も残したことはない。
そう、私が高校を卒業できたのは、このお祖母ちゃんの手作りの弁当のお陰であると、ハッキリと断言できる。

今となれば懐かしい思い出だが、お祖母ちゃんを右手に、そして胎児性水俣病の叔母さんを左手に「お祖母ちゃん、段(階段)があるよ」と、手を引きながら温泉に行っていた。
旅館の女将さんは、子供の頃からそうしていた私を「偉いね」と褒めてくれていたが、私にとっては、何の特別なこともない、ごく当たり前のことだった。
というよりも、道を踏み外すことなくすんだのは、この環境のお陰だったのかもしれない。

その後、高校を卒業する際に、新聞記者を目指すため専門学校へ通うことも検討した。
しかし、バックアップもなく、働きながら通う根性もなかったため断念することに。

社会人として始めて務めたのは、プログラマーの職務だった。
理由は、子供の頃、ゲームセンター荒らしの(すがやみつる)が書いた本を読んだ影響で、ピュータという日本語でプログラムを作成するゲーム機で遊んでいたからだ。
実際には、全く通用しなかった。世の中はバブルの真っ只中しかも関東が仕事場だったというのに、手取り11万円で生活していた。

そんな中、ストレスで持病のメニエルが酷くなり、仕事を辞め地元に戻ることになる。

その時、母とあの男から「ほれ。みたことか」とばかり、これみよがしに、さんざん言われた。
「お前は、ダメな男だ」「お前は、ダメな人間なのだ」と。

それからというもの、今でいう”うつ”のような状態になり引きこもりになったことも。外へ出ても、仕事も続かず、東京に行ったり地元へ戻ったり、引っ越しを続け、借金を重ね…
気がつけば、青森県八戸市まで行き着いていた。
この時19だが、ヤクザと直接的な関わりのある暴走族のリーダーにならないかと勧誘されたほどだ。
今思い返せば、その時は車の暴走運転も含め、いつ死んでもおかしくない状態だった。


ギリギリの状態になり、これではいけないと決意を新たにし熊本へ戻ることになる。

働きながら会社の立ち上げ方法からマインドに至るまで、ビジネス関連の書籍を来る日も来る日も読みあさっていた。
その後サラリーマンを辞め、起業した時には、ファミコンソフトの売買を始め、改造したワゴン車からスピーカーで声を出しながら回った。
しかし、決意をしたといえ、そう簡単に現実は変わるものではなかった。店舗も構えたが、上手く行かず、サラリーマンに戻ることに。

再び、自暴自棄の生活に戻る。その当時はパチンコしか楽しみはなかったほど没頭していた。
つまり、人生が終わっていたような状態だったのだ。

そんな時だ。あの人との運命的な出会いがあったのは…。


■ターニングポイント(転換期)


そんな時だった。人生を変える出会いがあったのは。
それは、今のかみさん(妻)との出会いだった。

妻は、私の人生のプラス(光)とマイナス(闇)の部分を全て認めた上で受け入れてくれた。
それからの私は、真剣に人生とそして自分と向き合い始めた。

その後結婚して間もなくして、コンビニエンスのローソンを二人ですることになる。

開店するにあたり、経営者の先輩に相談に回ったのだが、反対意見ばかりだった。
そのアドバイスを押し切って、消費者目線である「あったら便利だよね」という感覚を信じて、不安の中オープンすることになった。

スタートしてみると、コンビニエンスの経営は、お陰様で他県のオーナーが学びに来るほどの繁盛ぶりだった。

ところが、スタート時、妻はまだ19歳。
3年ほどたった頃、ストレスで心の病にかかってしまった。

今では考えられないかもしれないが、当時、心の病は、頭がおかしくなったほどにしか認識されておらず、隠れて通うような恥ずかしい病とみられていた。
しかも精神科しかなかったということもあり、そこへ行連れて行くことした。

ところが、薬を与えられた結果、幻を見るようになってしまい、逆に酷くなることに。
このままではいけないということで、大学病院を紹介してもらい、カウンセリングを兼ねて通うことになった。

カウンセリングは家族で受けることになる。

その時、先生はハッキリとこう話された。
「このような状況だと、離婚される方が殆どです」

その言葉を聞いた時、私達二人はショックを隠しきれなかった事を、今でも覚えている。

瞬間、私は意を決した。「今度は俺が、妻を助ける番だ」と。

それからこれまで学生の頃から何気に学んできた、メンタルに関する書籍を本気で学ぶことになる。
心理学から、宗教的な書籍、マインドに至るまで、ありとあらゆる書籍を読みあさった。
しかし、理屈ではなかなか上手く行かない。試行錯誤の繰り返しの日々だった。その結果、結局は忍耐と深い愛情が1番の薬となった。

そのかいもあってか、妻は日に日に回復に向かい、元の状態よりも元気になるほどになったのだ。

それからしばらく経った頃、心の悩みを抱え仕事が続かない人から相談を受けることになり、今までの経験と知識を元にアドバイスをしたところ、みるみるうちに元気になり社会復帰を果し、とても喜ばれることとなる。

この事をキッカケに「この経験と学びはもしかすると、誰かの役に立つのではないか」と思い立ち、これまでの体験を元に更なる探究を開始し、メンタリングをスタート。


■個人的な成長への投資と情熱


その後、私は妻の許可を得て、コンビニエンスで得たお金は、守りではなく挑戦に使うことにした。

まずは投資だ。それはつまり、体験を含めた自己投資に全てを注ぎ込んといってもよい(全ての投資金額を合わせると、家の2,3件は建っているだろう)。
出来る事は全てチェレンジしていく決意をし、行動を起こし始めたのだ。

それから、いくつかの失敗を乗り越え、コンビニエンスでの成績が九州1という成果も出てくるようになり、株式会社を設立。
インターネット事業に乗り出すことに。

幸いネットビジネスで実績のある師匠との出会いもあり、コンビニエンスのバックルームで教えをこいながら徹底的に学んだ。
それでも、はじめは上手く行かなかった。
起業してからは、出来る事は全てやってきた。全国の金運神社を回ったこともある。
ネットワークビジネスや宗教にハマったこともある。こちらは学ぶことも多かったが、それ以上に失うことも多いことに気がつくことになる。

その後、地域とネットを繋げるプロジェクトを立ち上げ、ネット企業家や投資家に合うため全国を回った。
ところがその隙を狙って、顧客名簿を持ち逃げされ頓挫することに。
1時は社員をリストラしなければいけない事態にまで陥った。丁度同時期、コンビニエンスを開店当初より予定していた満11年で卒業することにした。

このことをキッカケに、一旦全てリセットすることを決意。

妻と2人、二人三脚で足元を固めることにした。
その甲斐あって、3年連続の前年比アップを達成し、更に継続中である。
現在では新しいプロジェクトの準備を着々と進行中だ。



■ピークエクスペリエンスからゴールドエクスペリエンスへ


少し話が前後するが、2008年に、事業と同時進行していたコンビニエンスを全て任せることにし、距離を置くことにした(引っ越しを含め)。
そして、これまで経験してきたフロー体験の中で、「すごい!潜在意識」のウェブサイトをスタートさせることになった。

そのサイトをキッカケに、メンタリング希望者が増え、当時その対象は多岐にわたった。
成功を夢見てスタートしたいと思っている人。実際に行動を起こしている方。東京大学出身のエリートだろうが、中学卒業だろうが、既にビジネスで大きな成功を収めている人であろうと関係なく、メンタリングを続けていった。
結果を出している人からは「三千万円出してもいい」という話が出たこともある。結局、サイト立ち上げ前を含めると、気がつけば数えきれない人数となった。
そして、その殆どは自分自身で道を切り開けるようになっている。

その他にも、これまでの10年間に渡り、ネットビジネス、リアルビジネスにおいて数々の実験検証を繰り返し成果を出してきた。

私は、このように人々の助けになれることができるのは、非常に幸運であると感じている。

その後、その波に乗ることはなく、あえて外界との遮断、メンタリングさえも距離をおくことを決行することにした。
その全ての煩わしさからの決別は、私にとっては、今後より多くの人々の助けとなっていくためには、とても大切なフローだったからだ。

時は来た。

人は生まれながらにして、何のために生まれてきたのか?自分とは何なのか?という答えを創造していく権利を有している。
本来のやるべきことが決まった時、それは私にとってのゴールドエクスペリエンスの発動となったのだ。

これからはより本格的に、一人でも多く、黄金体験の発掘を開始する作業に没頭することになる。

加えて、これまであえて停止させていた、「成長へのワークショップ」も再稼働していくことになった。



■これまでの個人的な成長で得た私の哲学


これまでに得た、成長するための個人的な哲学は、非常に実践的に仕上がった。

私の哲学を形成する根底の1つに、「楽しむために生まれてきた」ということがある。
私はそのためには、自分自身を実験台とすることさえ楽しんできた。

自分の人生は自分で創る

誰しも、成長しサクセスストーリーのある人生を楽しむことができる。

色々な場所への旅行もしてきたが、私は今では仕事一筋に打ち込んでいる。それが楽しいからだ。
映画やドラマを楽しみ、ゲームを楽しみ、学ぶことを楽しみ、失敗を学びに変え、成長することの喜び。

私は自分自身へ課題を与え、波を創りだすことがある。理由は、それが変化をもたらすことに気づいたから。
そしてその事は、非常に充実した人生をもたらしてくれた。

私は深くオープンで正直なコミュニケーションに努めている。

その意味では、明るい話題ばかりでなく、暗い日の当たらない部分にスポットを当てなくてはならない時もあるだろう。
私達が成長するためには、意識して喜びを感じることも必要であると思う。

私はタブーを制限しないし、成長関連の話題のみを考慮していかない。それが重要だと感じた時には、私は喜んでこの分野の他の方たちが触れない話題について書いていく。
私の第一の約束は真実を記していくこと。そのためには、多くの人が求める耳障りのよい言葉と逆の厳しいことを言わなくてはならないこともある。私は喜んで風評からの助けを破っていくだろう。なぜなら、真実とは、それが人気があるかどうかにかかわらず、真実だからである。

私は今も、何をすることで、幸せが成就できるか、ということについて真剣に取り組んでいる。とはいえ自分の考えをを強調し、狂ったように仕事に取り組んでいくことは望んでいない。実際、無理をしてトイレで倒れてしまった、という過ちを過去に犯しているからだ。なので、私は常に一生懸命に仕事をすると同時に、豊かな社会生活を楽しんでいくために時間をとる。そして楽しくリラックスした状態を保っている。


最後になりますが、私は恐怖を見つめ、強く成長し、人々に力を与えることを約束します。
私は誰しも生命の中に偉大さを持っていると信じていますが、それを完全に表現させるためには、内部の開発作業が必要となってくることも理解しています。

一夜で成功するような、その場しのぎの解決法は説きません。個人的な成長には多くの作業をともなうことを、率先して人々へ伝えていく…それはお金に変えられない価値があります。
時間とは、いずれにせよ完全相伝として伝承していくために存在していることを知ったからです。

今では、誰しもその努力に応じた結果は、必ず出るという信念を持っています。
誰しも不安や恐怖を抱えているものです。これらの更なる成長するための材料を元に、飛躍していく、その力になることを約束します。

それは一朝一夕で出来ることではないかもしれない。しかし私は、あなたの偉大さを信じています。
あなたはこれから、もっともっと向上させることができると。

私の人生の目的は、次のとおりです。

誠実に、深い慈愛をもち接する。喜びを共有し、学び成長し繁栄させていく。
生まれや生い立ち、そして過去の全ては成長物語としての材料として、サクセスストーリーからハッピーエンドへと導いていく。
一人残らず成功を勝ち取ることが出来るように、あらゆる角度から長きに渡って最高の提案をしていくと。



■メッセージについて


1部に人には、私の人生は変わっている、と批判も出てくるかもしれない。
それが私の望むところであり、平均的な無難な選択はこれからもしていくことはないだろう。
実際、私の友人には珍しい人が多い。それに私は、喜びを感じている(^^)

私と妻は旅行も大好きだが、新しい事へ出会うことに、とても喜びと興奮を感じる。
そして、嬉しさや喜びを共有できることが、この上ない幸せなのだ。

メッセンジャーとして、あなたへ刺激を与え、発見する機会を創るため、私のこれまでの体験を元に、
知っていることを発信していくとともに、わずかな時間を使ってでも、やった方がいいことへ誘(いざな)うかもしれない。

サイト上にあるボタンを押すことで、あなたがこれまでに愛してきたアイディアや挑戦してきたこと以外のアイディアに遭遇することもあるかもしれない。
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そもそも、私の目標は、あなたを納得させることではない。あなたの成長を支援することであり、成長した喜びを聞くこととなる。
なので、私のウェブサイトは、時にはアイディアが浮かんだり、洞察力が深くなったりと、あなたに気付きと刺激を与えるために設計されている。



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私の使命は次の通りです。

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